nontarinの日記

日々考えていることを記録するためのブログです。主にMBTIの話してます。

“いのち”の価値の違い

おそらく、多くの人が感じたことがあるのではないだろうか。

「命の価値って同じじゃなくない?」


※この話は、人間の間での命の価値、つまり存在の価値に限る。犬猫などの動物まで話を広げるととっ散らかるので、また別の機会にしたい。



今回の話は、かの有名なトロッコ問題とは別の論点になる。トロッコ問題は、命の取捨選択をする人間と、選択される人間達の間には個人的な感情はなく、単純に人間の数と命の価値が比例することが前提とされている。

今回は、その前提を掘り下げたい。

私達は、学校の道徳や宗教で、「誰にでも平等に、優しく振る舞いなさい」と学んできた。また、一神教の教えには、『神の前では人間は平等である』という不文律が存在する。


だが果たして、一人一人の命の価値は等しいのだろうか?


例えば、災害が発生した時、ボートで救出できる人間が残り1人だったとする。その時、自分の大切な人と赤の他人、どちらかを選ぶだろうか。あるいは、自分の好きな人間と嫌いな人間であればどうか。

解脱した僧侶でもなければ、おそらく前者を選ぶのではないだろうか。

残念ながら、個々人が判断する命の価値、つまり“存在の価値”は平等ではない、と言える。


これは個人に留まらず、老人、子供、妊婦、富豪、ホームレスなど、あらゆる“社会的”役割を個々人に課している場合も同様である。子供は、今後社会の労働力となる有用な存在であり、死を待つだけの老人よりも価値のある命と判断され得る。同様に、生活保護を受けるだけで身寄りのないホームレスよりも、莫大な税金を納める富豪の方が、社会に有用な存在と判断されるかもしれない。


最近、このテーマについて思考する機会があった。

数ヶ月前、コロナの影響かは分からないが、有名な俳優が自殺した。そのニュースを見て母親(ESTJ)が一言。

「あれだけカッコいいのにもったいないね」

この言葉の真意を探ったところ、

『優秀な遺伝子を残せる可能性があったのに、自殺するなんてもったいない』

ということらしい。

見た目の美醜に遺伝子的価値があるとする彼女の価値観はともかく、彼以外にも日本には大量の自殺者がいる中で、彼にはもったいないと感じるのが不思議だった。まるで、彼は他の自殺者よりも命の価値が重い、“価値のある存在”であるかのようだ。ただ、通常より多くの人に存在を認知されているだけなのに。



やはり、人間の命の価値は平等ではないのか。


人間が動物である以上、自分の家族や民族などを第一に優先するのは自然の摂理である。自らの遺伝子を残すように努めるのが動物であり、そのためには他者を踏み躙るのも厭わない。弱肉強食が常である。

ではなぜ、本質に逆らうような、『人間は平等である』という思想が出てきたのだろうか。

踏み躙られる弱者が増えると、強者が数の力で負けることがある。そこで、強者は力では弱者をコントロール出来ないため、思想でコントロールを図る。有り体に言えば、『宗教』である。

『宗教』によって、弱者は救済される“ようにみえる”。(死後の世界や輪廻転生など)

つまり、『宗教』は、弱者のためではなく、強者が強者であり続けるために作られた存在である。勿論、結果として信者が救われていることを批判するつもりは毛頭ない。



だが、こんな不都合で不快な事実を明記することは不本意であり、私個人としては道徳を素晴らしいものと考えている。

人間の命、存在価値は平等であってほしい、というのが願いだ。例え事実がそうでなくても。

人間が動物である以上、競争意識を持って自分の価値を他者と比べてしまうのは致し方ないが、結局のところ自分の価値は自分で認めてあげる他ないのである。そして、他者の存在価値を自分の価値と同等であると認めることは、自分の存在価値を認めることと同じである。

個々人が、人間の存在価値は平等であると真に考えられるようになれば、現代社会の鬱屈した感情から解き放たれるだけでなく、動物を超えた存在になれるのではないか。


2021/5/16 喉に刺さった魚の骨とブログ初め

朝ごはんに食べた魚の骨が喉に刺さっている。

滅多にないことが折角起きたので、ブログ初めの日とする。


骨を取り除くのが面倒で、昔から魚を食べるのが苦手だった。とにかく面倒くさがりで、学生時代は「息をするのも面倒くさい」と言っていたらしい。(友人談)

怠惰な人間には、行動するのに何かしらの“納得できる”理由が必要になる。このブログを始めたのは、「人生をやっていく」のに納得できる理由を見つけるためだ。未だに理由は見つけられず、探し続けて8年目になった。このブログも、三日坊主で終わらないことを願う。



・自分の興味のあることについて(MBTI、哲学、映画、漫画など)


生きている理由探しのため、自己分析や他己分析を進めるうち、性格類型MBTIやソシオニクスに興味を持つようになった。MBTIを知ったのは大学1年生の時だった。サークルの友人(INFJ)がMBTIに詳しかったため、8つの心理機能など色々と教えてもらった。今まで自分が人間を観察、分析して考えていたことを、類型化・体系化されている概念に当てはめていく感覚がとても楽しかったのを覚えている。

当初、自他共にINFPと診断していたが、ずっと周りのINFPと自分は異質であるように感じていた。エニアグラムや生得機能の違いもあるため、なかなか判断がつかなかったが、社会人になりINTP診断に変わった。規範機能としてFiを使っているだけ、と理解したためだ。詳しくはまた今度書こうと思う。

現在の自己分析結果は、

INTP 

9w1 5w4 4w5 自己保存優位

Ne-LII

である。


また、自分を理解するためには、異質な他者を鏡のように使うことが必須である。一人で内面を見つめることは勿論大切だが、客観性を失った自己分析は不完全であり、自分と他者との違いでしか認識できない部分があると考えてているからだ。そのため、友人(N型が多いが)との対話や映画鑑賞などは、異なる人生・価値観に触れる良い機会であり、とても大切にしている。



今後は、自分が日々思考した内容を記していきたい。